鋼の錬金術師に関する雑感チラ裏

読書メーターでの鋼の錬金術師23巻のコメントが絶賛ばかりだったので、一言ケチをつけておこうという趣旨のエントリ。や、鋼の錬金術師は間違いなく面白いですよ。具体的にはこれの連載終わったらガンガンどうなるんだってくらいに。他誌掲載作品と比べてみても、正統派少年漫画としてはトップ作品のひとつなのは間違いない。ただ、ダークファンタジーとかいう煽り文句をオビにつけたり、生命倫理反戦主義盛り込もうとしてる割にはナイーブな価値観を暗黙のうちに「自明である」としているのが気になる。気になったので、書き残しておこうという訳です。
#消極的なネタバレを含むかもしれないので、以下未読の方は一応注意。

殺していいのは異教徒か、化け物か

23巻で、エンヴィーがエドに「お前人間に嫉妬してるんだ」と言われて「図星!キイイ悔しい(超意訳)」となるシーンがあります。理由は打ちのめされてもまだ前に進む強さがあるから、だそうな。あるいはもっと前の巻で、ラストの「意志も感情もある あなたと同じ人間よ」という台詞もありますが、これに対するハボックの反応は「ぞっ」でした。仮にも交際相手だったのにね。テキストにしてしまうと分かりませんが、ラストの台詞のある部分の演出はフォント・表情他により、いかにも化け物だと納得出来るようになっています。同じ台詞でももう少し哀愁漂わせた言い方をさせることも出来たわけで、つまるところ化け物はどこまで行っても化け物で、ニンゲンよりも主に精神的に一段劣った存在と捉えているんだろうなあと思われます。一方、宗教戦争をした当事者同士のアメストリス人とイシュヴァール人は作中であっさり協力関係に。荒川先生ニンゲン以外に厳しいっすね。

人間同士仲良く出来てるんなら大いに結構じゃないの、という声が聞こえた気がしますが、少なくともリアル地球の人類史上では異教徒は化け物で異端は悪魔の手先という時代がかなり長かった。今でもイスラム過激派あたりに言わせればアメリカは悪の手先なのかな。「殺していいのは異教徒と化け物だけです」というヘルシングアンデルセン神父の台詞は、単なるファッションではなくそれなりに歴史的な重みがあるわけです。
つまり、ニンゲン以外は滅ぼして構わないというのは、根本的なところで十字軍の頃と変わってなくないですか、という突っ込みを自分は入れたい。まして、相手はGウィルスに憑かれた群体ではなくラストの言うように意志も感情もある存在。チューリングテスト余裕で通ります。それを「アレはニンゲンじゃないから不殺のうちに入りませぇーん」というノリで殺したり、上から目線で哀れんだりするのはかなり非道いというのが正直な感想。

異教徒・宗教と言えば、アメストリス人は無宗教多いってことになっているようですがそれってどうなんでしょう。どうなんでしょうというか、かなり不自然。「我ら錬金術師は神にも等しい力を持っているのだ」という意識のある錬金術師達に信じる神がいないというのならまだ分かりますが、その辺の一兵卒にまで「これといって信じる神はいませんが」という意識があるというのは一体どういう社会なんだろうと。元々何かあった宗教を軍事国家がかき消したとしたら、ソ連毛沢東も実現出来なかった偉業を成し遂げたことになります。なりますってか、それはねーわ。多分作者に言わせたら日本人は無宗教ってことになるんでしょうね。自称無宗教のアメストリス人が強い宗教を持つ民族を圧迫するって、それどこの東ト<検閲>、チ<検閲>。

軍隊アレルギー

鋼の錬金術師という作品には、はっきりと軍隊アレルギーの存在を感じられます。「軍人って、つまるところ人を殺すのが仕事でしょ。やだやだ」という日本人にはおなじみの感覚。有事に血を流したり流されたりするのは軍人の給料(と名誉)のうちなので事実認定としては全く正しいのですが、誰かがやらなきゃならない仕事してる人をそういう目で見るのははっきりと差別的に過ぎると断言出来ます。
この延長上で、マスタングが大総統になった暁には徐々にに民主化と軽軍備化を進めるという構想を話していました。アメストリス人の水準は結構高いようなので民主化は出来るにしても、軽軍備は無理じゃねーのという気がします。作品世界のモデルは20世紀初頭のヨーロッパですよ?各国お互い疑心暗鬼で、これ以上進めば破滅と分かっていても軍拡に邁進し、油断している国を取って食いながら次の軍拡の燃料にする時代だというのに。そもそもアメストリス自体がそうやって拡張してきた国家って設定だったのでは。近代以降の現実世界で話し合いによる軍縮の実現はWWIの経験で初めて出来たわけで、切れ者国軍エリートの割にはマスタングさんお花畑ですねと言わざるを得ませんね。

生命倫理

「人間をつくるのは悪だ」というのはこの作品が一貫して主張しているテーマであることを否定する人は少ないはず。理由はこれといって説明してくれていませんが、それはそういう倫理だと言われれば、そういう主張もありますねとは言えます。
が、それならなんで主人公達は人間をつくった罰として身体を取られてるんでしょうか。視覚的な印象は大きいので漫画表現としては効果的かもしれませんが、人体錬成の作中における倫理的な意味が分かりづらくなっています。身体取られることがなかったら人体錬成してよかったの?と、こういう疑問が当然出て来る。
そういえば賢者の石の使用規定もひどく恣意的ですね。賢者の石が手に入った時は「これは勝手に使っちゃいけない」とか言ってました。が、元の身体に戻るためには使えないと言いつつ、ピンチになったらどさくさで結構使ってます。理由は人間が材料だったからということですが、その石から人間復元出来るんならともかく単なるエネルギーなのに躊躇するのはどうなんですかね。エドは口では未だに「錬金術師は神を信じないからー」とか言ってますが、どう見ても何かの宗教を信じてます本当に。本当に合理的なら、なっちゃったものは仕方ないからどう有効活用しようかという話になるはず。WWII中の人体実験の結果を大いに活用した戦後の医療研究みたいにね。

まとめると

日本の少年漫画って、明らかに特定の価値観を採用すべきだ/するべきでないといいうお約束があるわけで、以上書いてきたことはそのお約束と鋼の錬金術師という作品世界が衝突している狭間にあるのかな、という所感。少年漫画でももうちょっとお約束を踏み抜いた作品あってもいいんじゃないかなあ。飛翔三原則に則ったのばかりだとジャンル停滞しませんかね。