日本の安全保障を外から見た本

紀伊国屋で立ち読みして気づいたら100ページ以上読んでたから買ってしまった。

日本防衛の大戦略―富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで

日本防衛の大戦略―富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで

以下アマゾンに投稿したレビュー及び個人的な補足。

アメリカ人の学者が日本の安全保障戦略を解説した本で、訳者が言うように日本人自身あまり理解していない安全保障の議論を理解する一助となり得る良書である。

巷間「日本に戦略は不在だ(である、だった)」と言われている。しかし著者は、日本が対外的には一貫してプラグマティックに行動してきたと断言する。「日本国内の安全保障議論を見るとイデオロギーの泥沼のように見えにも関わらず」と前置きしているのが面白い。隣の芝なのか、他所からすれば日本がかなり洗練された戦略に基づいて行動しているように見え得るらしい。

戦後から冷戦期までは安保ただ乗り(タダではないので本書では「安乗り」という言葉だが)、低軍備、非戦路線、東アジアとの経済関係発展による総合安全保障である「吉田ドクトリン」があり、政治家も官僚も公言こそしないものの意図的にやってきた。そして、冷戦後日本は吉田ドクトリンに代わる新しい大戦略の国全体によるコンセンサスを模索してきており、現在まだ不明な部分が多くはあるがコンセンサス全体の一部が見えてきている、というのが本書の主張である。

戦後日本が意図的に低軍備民生優先で発展したことはよく言われるし、日本人でもそれは確かにあったと考えている人は多い。しかし、アメリカからの軍事的な貢献の要請を、戦争に巻き込まれない非戦路線のためという明確な目標の下断っていた、というのは日本人には新しい視点ではなかろうか。9条改正派に言わせれば9条の「せいで」積極的な安全保障が出来なかったという意見になるし、護憲派なら9条の「おかげで」戦争にコミットせずに済んだという、どちらかの見方が国内の意見の9割以上のように思う。だが、本書に言わせれば日本は(明治以来、満州事変以降の戦前も含めて)常にプラグマティックに行動してきたのであって、9条はアメリカからの要求を断るためのいい口実に過ぎなかった、となる。9条の堅持自体は国民の広範な支持があったからそうなったが、為政者はそれを利用した大戦略を描いたという。一方でソフトパワーという言葉もない時代に経済安全保障の構想があったことなど、日本の戦略家の能力は高かった(し今も高い)と主張している。

その日本が、冷戦後の安全保障環境の激変を受けて、2007年安倍政権時代までにどのような方向に向かっていったのかを解説しているのが本書残り 2/3のテーマだ。現在日本は、吉田ドクトリンの後継となる安全保障戦略の国民的コンセンサスを模索する真っ最中だと言う。明治期の「富国強兵」、戦間期から第二次大戦に至る過程での「大東亜共栄圏」、戦後の「平和国家」路線が決まって行った時は常に広範かつ活発な議論が行われてり、90年代以降現在もその最中だとしている。議論の見取り図として「国際主義 - 自主主義」「大日本主義 - 小日本主義」という二次元分布図を提案しているため、単純な右/左翼という分類より国内の安全保障議論の立ち位置の見通しが良いだろう。また、あまりに当然の前提なので国内向けの言説では滅多に語られない要素として、日本の「威信」「自立」を挙げている。著者に言わせれば、平和主義者ですら威信(ただし主に経済による)を増大させようとしているし、日米同盟へ軍事面でも積極的な貢献をしようとしている人々も自立の価値観を十分に持っている、となる。この命題の真偽はともかく、内部からはなかなか気づけない視点なので、この一点においても日本人が読む価値があるだろう。

現在の日本の戦略環境に対する著者の見立ては次のようなものだ。自衛隊の実戦能力は高くなり、その武力を行使出来るよう法体系の整備もしている。防衛産業は競争力を失って絶滅するおそれがあったがひとまず息を吹き返し、武器輸出緩和による国際市場への参入を模索している。経済面では、失われた10 年で負った劣勢から再び有利な位置を東アジアで占めるようになった。東アジアでのリーダーシップは中国に出し抜かれ挽回の目処は立っていない。これらのコンディションから、日本は開国後はじめて自立と威厳に最も近いところにいる、としている。

日本の次の大戦略のコンセンサスはどうなるのか?米国の研究者の間でよく見られる意見は「日本はいずれアメリカを見限り中国と組むだろう」「いやアメリカの忠実な同盟者になろうとしているはずだ」といったものだ。著者はこれらはどれも部分的なことしか説明していないとする。これまで日本はリスクを”ヘッジ”してきたし、これからもそうするだろう、と繰り返し説いているのだ。冷戦下でも、日米安保に頼る一方で東アジア(1950年代の中国すら含む)との経済的な繋がりを強化して経済安全保障による”ヘッジ”としてきた。ならば今世紀においても、自身の軍事的な強制力を高め、また日米同盟での日本の役割も拡大しつつも、危険な紛争に巻き込まれない距離を保ち、中国との経済的な結びつきは強める一方でインドや豪州等との関係を深め、東アジアにアメリカをコミットさせ続けようと”ヘッジ”をする - これが日本の吉田ドクトリンの後継、次なる「ゴルディロックス・コンセンサス」となるという予想で本書は締めくくられる。

日本の対外政策について書かれた外国人による本はしばしば見掛けるが、本書の特色は日本国内の状況・声を丁寧に拾っていることだろう。学者が書いているからかあらゆる項目に出典の脚注がついており、脚注の数が100を超えている章もある。そしてその内容の半分は、日本国内の1次ソースとなっている。これほどまでに日本自身の内生的要素をきっちり追っている外国人による類書は少ないか、皆無だろう。日本に大戦略がある!などと書くと日本人には陰謀論にしか見えないことが多いが、出典全明記でその辺のうさんくささが少ないのが素晴らしい。
なお、訳者は「想像の共同体」を翻訳した白石隆氏で、全体的に読みやすい日本語になっている。ごく少数、文意が取りづらい部分があったり助詞がおかしいところがあったが、原書の問題なのかどうか判断に困るし、致命的になっている箇所はないので問題はないだろう。少し欲を言えば、恐らく原文で複数形だったものが「日本の戦略家」と訳されているせいで、日本の大戦略を把握立案している謎の特定人物がいるかのような印象を受ける可能性があることはある。文脈に沿って読めばそうでないことは分かるし、日本語の特性による微妙なニュアンスの問題なので言っても仕方のない話だが。

日本は中国を封じきる自信を無していくから将来中国に従属するだろうという乱暴な議論に比べれば、本書の予想はかなり日本国内の雰囲気を掴んでいると言える。しかし、アメリカに日本の許容出来る範囲の協力をしつつ日米安保の抑止力を保つのは、ほとんど外交の曲芸ではないかとも思う。「無能な政治家と外務省、外交音痴の日本」という先入観のせいかもしれないが、有能だったとしても難しいのではないか。まあ、困難であっても不可能ではなく、目標が明確ならプロジェクトXが発生する余地はあるが。それでも「ゴルディロックス・コンセンサス」が想定する未来は(平和主義者以外には)あまりに理想的過ぎて疑ってかかりたくなる。東アジアでは日中に+米印でバランスを取り、経済面で上流と下流の出入り口たる”戦略的高所”を占め、一定の強制力を保持し国益に能動的でいられる・・・エロゲ顔負けの楽観シナリオだ。同盟のコストとしての派兵も、ユーラシアならまだしもベネズエラ攻めるから1個師団出してくれとでも言われた日にはどうするのか。ラテンアメリカでの米国のタガが継続的に緩めば有り得ないことではないのが嫌すぎる。派兵すればそれなりの戦死者に南米での反日感情の高まり、ついでに日系住民への迫害がもれなくついてくる。アメリカの庇護を離れて軍拡(核保有込み)するのとどちらがマシか、簡単ではない。
そういえば本書でさらっと触れられているが、近衛内閣が戦前の(流血沙汰をしばしば起こした)国家の方針に関する対立を大統一した形で成立したという見方はもっと共有されてもいいと思う。結果論から見れば、あるいは外野から見れば冒険主義的過ぎる日本の行動も、当時の国内世論・状況ではそれ以外は実行がほぼ不可能だったはずだ。「そういう時こそ文民政治家が命をかけてでも抵抗すべきだった」みたいな考えが聞こえた気がするが、文字通り命をかけた政治家はクーデター騒ぎで殺されてしまっている。クーデター自体への支持・不支持はともかく、背景には対外反欧米自主路線の国内の空気があった。この状況では、例えば満州放棄は実行可能性という点で戦略として成立しなかっただろう。国家戦略では取り得る選択肢が全部死亡フラグとか、そもそも選択肢がないという状況はたまによくある。単に戦前の方針は自滅的だ、当時の軍部はなぜこんなことにも気づかなかったのかと言うだけでは何の足しにもならない。まあ、全部天狗じゃ!天狗の仕業・・じゃなかった、軍部のせいということにした方が国内も国外も*1お得ではあるのだろうけど。

*1:中国が日中国交正常化するときに国内をなだめるために使ったレトリックが「軍部が悪いのであって、日本国民は被害者だ」だったとか。